ダニーデン(エジンバラのケルト語名)は、 1840年代後半にスコットランドからの入植者によって作られた町で、ここにはニュージーランドで最初に設立された大学があります。 1860年代にオタゴ中央地方で金が発見されてから、ダニーデンはニュージーランド最大の都市に成長しました。
最初の入植者がスコットランドから帆船でやってきたとき、そのメンバーの中に、国際的に名高い18世紀のスコットランドの詩人・歌人ロバート・バーンズの甥、レヴレンド・トマス・バーンズという、精神的支柱になるまたとない人物がいたことは非常に幸いでした。ロバート・バーンズの子孫は、現在もダニーデンに住んでいます。ダニーデンには、スコットランドだけではなくロバート・バーンズ本人にも直接のつながりがあるのです。ロバート・バーンズは非常に崇拝、尊敬されていて、町の中心である「オクタゴン」の最も栄誉ある場所には彼の彫像があります。ロバート・バーンズの多くの功績の中には、世界で始めて作られた新年を祝う歌「オールド・ラング・シン」を書き上げたことがあげられます。
1785年、バーンズはスコットランド料理「ハギス」を中心に隠喩した詩を書きましたが、これは、200年以上経った今も、当時と変わらず的を射たものです。当時、周囲の人々が自らの文化に背を向けてイングランドや大陸の文化を取り入れていくのを見て、彼は「ハギス」に関する詩を書き上げました。この詩の中で、バーンズは、人々に自分達の文化を捨てないように訴えました。以来、この「ハギスへの辞」は、ハイランドの首長の行列に結びつけられるようになりました。ハギスは首長自身の一部なのです。「ジリ・モー」(名誉を守る者または刀剣の運び手)に付き従われた「ジリ・ピオブヘアー」(または笛の吹き手)が首長の歌を始め、次いで「ジリ・コウェ」(首長に助言を行い軍隊に指令を行う者)が現れ、最後に「ジリ・ウスケ・ボー」(ウィスキーの運搬者)が現れます。
バーンズは「ハギスへの辞」の冒頭で、ハギスがどれほど大きいか、またハギスがどれだけ上手く丸められていてそれが遠く離れた丘の眺めを思い出させるか、すなわち、自分達の文化の中で強い存在であるスコットランド人は、故郷の丘のように丸くて硬いのだという推理を述べています。またバーンズは、ハギスから染み出てくる汁はウィスキーを思い出させるともうたっています。さらに、ハギスを当事流行っていた外国料理も比較していて、こうした料理を食べる人々を見たことがあるが、スコットランド人には合わない、何故ならこういうものを食べていては一族や家族を守るために戦場や水浸しの野原を駆け回ることなどできないからだ、としています。バーンズはまた、素晴らしいハギスを食べることで得られる力によってスコットランド人は救われていると感じています。この詩の終わりでバーンズはこの力に対して、スコットランド人にいつも感謝の念を感じて欲しいならば、永遠に十分な量のハギスを与えて欲しいと頼んでいます。
もともとハギスの材料には、経済的な理由から最も安い肉と内臓の切れ端が使われていました。しかし、現在ダニーデンで作られているハギスには、最上級の羊肉と牛肉、それに少量のレバー、玉葱、調味料とオタゴ産のオートミールが使われています。出来上がった素晴らしいハギスを切り分けると、見た目も味も田舎風パテに似ています。
ロバート・バーンズの「ハギスへの辞」は食べ物をテーマにしていますが、これになぞらえたメッセージは思慮深く深遠で、今日も生き続けています。
「自分の文化を守りなさい。もし文化を失ってしまえば、自分自身をも失ってしまうのですから。」
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